ヘングレと魔法使い(パティシエ)


≪零覇5≫


 「それからだ。俺が菓子を作ろうと思っても作れなくなったのは。作りたいと思うことはあっても、どうしてもその記憶が邪魔をする」

 「トラウマという事ですか」


 ポツリポツリと語られる彼の過去に気の毒そうな表情を隠せないヘンゼル。やりたいことがあるのに、やりたいという気持ちがあるのに出来ない。彼らにもその辛さは大いに覚えがあった。なんと言って良いのかと考えあぐねるヘンゼル。重い沈黙が落ちる。だが。



 「で?」



 地を這う様な低い声を発したのはグレーテルだった。不機嫌オーラを全身から発し、意味不明とでかでかと顔に書いた彼女は冷ややかに零覇を見据える。思わず、零覇がごくりと喉を鳴らし、ヘンゼルがぴきっと音を立てて固まるほどの、かつてないお怒りモードである。


 「それで、諦めたって訳?」


 ふざけるな。吐き捨てるように言った彼女は、その瞳に軽蔑の色を浮かべる。



 「もう、誰も俺の菓子を食べてくれる人はいない?何でそんなことが分かんのよ。ってか、アンタはたった紙切れ一枚や二枚程度の記事に踊らされるような客のためだけにお菓子作ってるわけ?」



 瞠目する零覇にグレーテルがたたみ掛ける。


「世界中のみーんなに認めてもらわなきゃ気が済まないわけ?だったら、大会でもなんでもバンバン出て賞かっさらって満足しなさいよ。そんな事興味ないなんて言って店出す必要ないじゃない」


 思いもよらぬ言葉を投げつけられ、呆然とする零覇。その様子に更に苛立ったのか、グレーテルの勢いが増す。


 「この状況を作ったのは、その中途半端でイラつく態度の所為じゃないの⁈そんな事思ってる時点で周りを見下してる、馬鹿にしてるってなんで気付かないわけ⁈そんなの唯の傲慢じゃない!潰されたって何の文句も言えないわよそんなの!それなのに人の所為にしたり、自分に落ち度はない、みたいな態度とるとか意味わかんない!アンタはどっちな訳?笑顔を作るお菓子を作れればそれで満足なの?それとも、世界中のすべての人に認められたいの?」


 そこまで一気に言い放った彼女は、軽く肩で息をしていた。それでも、まだやるかと言わんばかりに睨みつけてくるその瞳は何処までも真っすぐで、力強かった。気圧されて何も言えない零覇の傍らから、大人しく傍観していたヘンゼルが、まあまあその辺で、とようやく鎮火活動に取り掛かる。


 「人の心なんて、自分でもどうしようもないことだってあるんだし、だからこそ向き合うには時間と勇気がいるんだ。責めてばっかってのはちょっといただけないかな」

 「あーあ。どうして男どもってのはこうも女々しいのかねぇ。ヘンゼルも何もしないうちからパティシエになること諦めようとするしさぁ」


 ニッコリと笑顔で痛いところを力一杯ついてくる妹に、ヘンゼルは笑顔のまま、冷や汗が勢いよく背中を滑り落ちていくのを感じていた。


「諦めようとしていた…?」


 怪訝そうな零覇の呟きは二人には届かなかったようだ。暫く、満面の笑みと引きつった笑みを向かい合わせていた双子だったが、ヘンゼルが撃沈して事で決着がついたようだ。


 部屋の隅でいじけ始めた兄をすっぱりとスルーしたグレーテルがキッと睨みつけてる。


 「私たちだったらそんなの蹴散らしてでもパティシエになるし、続けていくわよ!アンタの態度さえ除けばただのやっかみだもの。かかずらってる暇ないし、無駄なだけだわ。もっとも、私たちはそもそもそんなくだらない態度とらないけど!!」


 ビシっと零覇を指さしたグレーテルは高らかに宣言する。



 「まだ賭けは始まったばかりよ!私たちが何もかも蹴散らして、最高のお菓子と最高の笑顔をアンタとアンタの想いを馬鹿にした奴らに見せつけてやる!そんでもって、必ずアンタにお菓子をもう一度作らせてやるんだから、覚悟しなさい!」



 零覇の気持ちも何もかもを思い切り置き去りにして高らかに宣言して目を輝かせる彼女に、あっけに取られていた零覇だったが、徐々に込み上げてくる笑いが抑えきれなくなったようだ。むっとした表情の彼女に違う違うと首を振りながら、目を閉じる。


 再び目を開けた零覇のその顔は憑き物が落ちたように晴れ晴れとしたもので、グレーテルは喉元まで込み上げた文句を飲み込んだ。いじけつつそっと横目で様子を窺っていたヘンゼルも微かに笑う。


 そして、三人のドタバタしながらも、何処か穏やかで楽しい日々が続いていく。



 はずだった。

 あの日までは。

ツキナギ発狂日誌

法政大学多摩キャンパスに通う凸凹だけど中身はよく似たツキとナギが綴る日々の(発狂)日誌。

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