ヘングレと魔法使い(パティシエ)
≪コンクール1≫
その日は曇りがちな日だった。だるい、めんどくさい、天気悪いといつもの様にグダグダ言う零覇を引きずり出し、いつもの様に菓子を作り、いつもの様に零覇の罵詈雑言の嵐を受けて、いつもの様にグレーテルが噛みついて、いつもの様にヘンゼルが頭痛薬と胃薬と友達になっていた。全く、いつもと何も変わらない日。
「さぁて、今日はこんなもんかねぇ」
「ああああああ!もう嫌!今日も私たちの負けって事⁈信じらんない!今日こそは吠え面かかせてやれると思ったのにぃ!」
「もしもし、グレーテルさん?何か趣旨が変わっているような気もするのですが…」
ひとしきりいつもの流れを終え、グレーテルがむくれ、零覇が眠そうに頭をがりがりと搔いているのをヘンゼルが疲れた顔で見ていた時だった。突然、インターホンが鳴った。
ふくれっ面になりながらも客の対応にでるグレーテル。その背を零覇とヘンゼルは苦笑気味に見送る。
「まぁ、取り合えずお茶でも入れましょうか」
「ああ、頼む」
そう言って、ヘンゼルがコップを持って立ち上がった時だった。
「何でこんなとこ居んのよ⁈」
玄関先から、グレーテルの絶叫が聞こえてきた。凄まじいその音量に、零覇が飛び上がり、ヘンゼルが持っていたコップを思わず取り落とす。
「おいおい、今度は一体何事だあの馬鹿娘。いい加減学習しろって」
うんざりだと言わんばかりの顔をして、同意を求めてヘンゼルの方を向いた零覇が目を見張る。ヘンゼルの顔が、青く強張っていたからだ。
「おかしい。グレーテルがあんな声を出すなんて」
「あ、おい!」
落としたコップはそっちのけで玄関まで駆けていくヘンゼル。そのいつになく張りつめた雰囲気に零覇が慌ててその後を追う。
「だから、一体何事なんだって」
半眼で玄関先に零覇がいった時だった。
「成程。道理でグレーテルがあんな声を出すわけだ」
緊張に強張った声をヘンゼルが訪問者に掛ける。首を傾げた零覇が彼の視線を追うと、そこには恰幅の良い男といかにも奥様と言った風情の女が立っていた。
誰だ。そう思った零覇が問いただそうとした瞬間、その疑問の答えはヘンゼルによってもたらされた。
「お久しぶりです。よくここが分かりましたね。父さん、母さん」
瞠目する零覇の目の前で、ヘンゼル、グレーテルの二人と、訪問者の男女―稲菓勝唯(かつただ)と稲菓慈愛(いつみ)の二人が睨みあっていた。
よく状況が呑み込めないものの、取り合えず、ということで零覇は勝唯と慈愛の二人を招きいれた。こんなあばら家に上がるなんて、とでかでかと顔に書く勝唯の様子には気付いていないことにした。双子に出会ってからとというもの、そのスキルなしには生きていけなかったのでお手の物である。その事実に傷づいていないかと言われれば嘘にはなるが。
むっつりと黙り込んだ弟子二人を一瞥して、勝唯と慈愛に茶を出すと、彼も腰を落ち着けた。その様子に、勝唯が眉を顰める。
「すまないが、席を外してくれるかな?私たちはそこの子供たちに用がある」
「こっちにはないわよ!」
勢いよく噛みつくグレーテルを勝唯が冷ややかに一瞥する。何時もなら、持ち前の負けん気を発揮して睨み返すグレーテルのひるんだ様子に、零覇が静かに声を上げる。
「そうは言われましても、ここは私の家ですし、この二人を預かっているということもあります。二人について話すというなら私が居ても不思議はないでしょう?」
冷静に返された正論に、勝唯が黙り込む。無意識にだろうが縋るような眼差しを向けてくる双子に肩をすくめると、声を出さずに口を動かす。
また、面倒を持ち込みやがって。
気まずそうに視線を泳がす双子。そんな彼ら三人の様子を見ていた勝唯が咳ばらいをして、自分に注意を再びひきつける。
「とにかく、だ。二人とも帰ってきなさい」
「さっきから言ってるじゃない!嫌よ」
「いい加減にっ!」
激昂して机を思い切り叩く勝唯。だが、静かに様子を見ている零覇の事を思い出し、咳払いをして無理やり笑顔を浮かべると、猫なで声を出す。
「それに、これ以上我が家の事情に彼を巻き込んでは、彼が迷惑するだろう」
そう言って視線を向けてきた勝唯に零覇は肩をすくめて見せる。
「確かに、迷惑ではありますね。突然押しかけてくるわ、トラブルを持ち込んでくるわ、人の事情に首を突っ込んでくるわ、何だかんだと。お陰様で、胃薬と頭痛薬と友達になろうものとは思ってもみませんでしたよ」
そうだろう、と同意を得てご満悦な勝唯。庇ってくれるのではないかと、期待するように見ていた双子は、突き放されたことに衝撃を受けたようだ。しかし、彼らは言い返すことが出来なかった。ヘンゼルの方は小刻みに震え、グレーテルの目からは今にも涙が落ちんばかりだった。その様子に満足したように満面の笑みを浮かべた勝唯が、さあ帰ろうと腰を浮かせたその時だった。ただ、という鋭い声が彼の動きを制する。
「そうはいっても、当然乱入してきて、何も知らないくせに迷惑だろうだのなんだのと勝手に決めつけられたくはないですね。そもそも、まだどこのどなただか伺って無いのですが?」
挑戦的な眼差しを零覇は勝唯に向ける。一転して挑みかかるようなその瞳に勝唯が気圧される。双子もいつになく好戦的な零覇の姿に目を丸くする。
「そ、それは失礼したな。私はそこの二人の父親で稲菓勝唯。こっちは妻の慈愛だ」
取り繕うような笑顔で、ようやく自己紹介してきた男を冷ややかに一瞥した零覇はため息をついて、こめかみを揉む。
「稲菓って、あの稲菓か?俺の記憶違いじゃなきゃ、超がつく大財閥じゃねぇか。」
素知らぬ顔で明後日を向く双子をじとっと睨む。やれやれ、と息をつくと頭を切り替える。
「それで、あんた達はこいつらを連れ戻しに来た、と」
「あ、ああ、そうだ。この二人は、家を継ぐことが決まっているからな」
漸く調子を取り戻し始めて頷く勝唯に、零覇はスッと目を細めたが、特に何を言うでもなく淡々と問いかける。
「けど、コイツらはパティシエになるって言ってたけど?」
「ただの戯言だ!誇り高き稲菓の跡取りが使用人の真似など言語道断っ!」
「使用人の真似、だと?」
いきなりヒートアップして怒鳴り散らす勝唯。その耳に静かな声が届く。その声の主は、冷笑を浮かべ、勝唯を睨みつけていた。その身から発せられる冷気に、勝唯の背筋が凍る。
「俺たちは使用人の真似をしてるわけでも、使用人でもない。パティシエだ。菓子を作ってなんぼの誇り高い菓子職人なんだよ」
それになぁ、とすっと表情を消した彼は、吐き捨てるように言う。
「子供はあんた達親の玩具でも道具でもない。親なら子供のやりたいようにさせてやるのべきじゃないのか?」
その言葉に、ついにグレーテルの涙腺が決壊した。ヘンゼルに抱き着いて、肩を震わせる。ヘンゼルもうつむいたまま、妹をかたく抱きしめる。
今まで、彼らの周囲にはそういうことを言ってくれる人はいなかった。だから、その言葉が何よりも、嬉しくて、切なかった。そして何より、二人の心に巣食っていた不安を吹き飛ばし、ここにいていいのだと、間違ってないのだと言ってくれたことが、嬉しかった。
「俺たち……ね」
ヘンゼルが掠れた声で呟く。その声にグレーテルが顔をクシャリと歪めて目元をごしごしとこする。それを見るヘンゼルも泣き笑いの様な表情を浮かべている。そんな双子に零覇はばつの悪そうな顔をする。
「煩い。とにかく」
青年の静かな怒気に呑まれて顔色を無くしている勝唯の目の前に、はらりと一枚の紙が置かれる。それは、零覇が暖稀に渡された紙。そして、その内容は、入賞すればパティシエとして活躍するのに大いに貢献する、日本全国規模のコンクール。
「ここで、決着をつけようぜ。この大会は全国的にも有名で、ここで入賞するってことは全国的に認められるって事。だが、そうである以上、そう簡単なものじゃない。お遊び半分でどうにかなるようなもんじゃないって事だ」
すっと視線を巡らせ、双子を視界に映す。二人は目を丸くしてその紙を見ていたが、零覇の視線に気づき、緊張した面持ちを彼に向けた。
「ここで、俺たちは賭けをする。こいつらの進退、そして、俺自身の進退をかけて。ここが最初で最後の大勝負だ。俺が勝っちまうのか、それとも、コイツらが勝つのか。それを見届けろよ。どうせこいつらが家出してからそこそこ経つんだ。連れて帰るまでの期間が多少伸びたところで大差ないだろ?だから邪魔すんな」
淡々とした冷たくも聞こえるその声に秘められた押し殺しきれないその熱に、双子の顔つきが変わる。真剣な中にも、挑みかかるような、挑戦することを楽しむかのような表情をする。そんな双子に頷きかけると、零覇は視線を勝唯に戻し、はっきりと宣言する。
「それを見てなお連れて帰るって言うんなら好きにしろ。だが、何も知らずに勝手に決めることだけは断固として阻止させてもらう。この賭け(これ)は俺たちにとっても何より重大な事でもあるんだからな」
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