ヘングレと魔法使い(パティシエ)


≪零覇2≫


 零覇は久しぶりに物や人でごった返す駅前に来ていた。何故かというと、昼前に買い出しに行ったっきりなかなか帰ってこない弟子のひとりからメールが届いたからである。


 『いっぱい買ったら重くてもう動けなーい。迎えに来てー』


 その文面と共に腹立つほどにウザ…もとい、可愛らしい顔文字が書かれ、ご丁寧に現在地の地図まで添付されてたのだ。


 最初見た時、彼は額に青筋を浮かべ、言葉にならない恨みつらみその他諸々を、ひとしきりどうにかこうにか飲み下し、放置したのだ。しかし、返信が無いことが気に障ったのか、あるいは、彼が放置することを見こうしていたのか、彼女はメールを次々と送って来たのだ。 それも、一通送った後に間髪入れずに次の一通を。

 その件数が50件に達した時点で、彼は白旗を上げた。その50通のメールの中身は推して知るべし。


 そんな訳で彼女に指定された喫茶店に辿り着いた彼は、溜息をかみ殺した。取り合えず、もう一人の弟子であり、彼の最近のストレス製造機の兄に、もっときちんと妹の手綱くらい握っておけ、と文句を言おうと心に決める。もはや、元凶をどうにかすることは完全に諦めている今日この頃である。



 カランと涼やかな音を立てて、喫茶店に入る。いらっしゃいませ、と声を掛けてくる店員に待ち合わせであることを告げて、店内を見回す。待ち合わせの相手はすぐに分かった。馬鹿娘がすぐに気づいて勢いよく手を振る傍らで、苦労性の兄が頭を抱えていたからだ。

 今日何度目かの頭痛を気のせいと無理やりに思い込むことにして、大股で近寄ると、取り合えず馬鹿娘の頭を殴る。痛い、と大げさに悲鳴を上げる彼女をじろりと睨む。


 「おいこら馬鹿弟子、買い過ぎたなんて滅茶苦茶な用件で師匠を呼び出すとはどういう了見だ。つーか、師匠に荷物運びさせる気か。んでもって、そこのアホ弟子。妹の手綱くらいちゃんと握っとけ」

 「待って、まさかの飛び火⁈僕にそんなことは不可能です!っていうか、むしろそんなことが出来る人が居たらお目にかかりたいです!」

 「ちょっと、それどういう意味?!」


 悲痛な悲鳴を上げる兄に、妹が頭を押さえながら半眼で詰め寄る。全く反省の色が見えないどころの話ではないいつも通りの二人に天を仰ぐ。


 「…、うわ、ホントに来た。というか、なんか雰囲気変わったかも」


 どこかで聞き覚えのある呑気な声に誘われて視線を正面に向けると、そこには呆れと苦笑と驚きを混ぜ合わせた何とも言いようのない表情を浮かべた零覇の旧友の姿があった。


 「…っ、なんで、お前がここに」


 何年もの間、避け続けてきた旧友の姿に動揺を隠せない零覇。予想のしようもないその再会に混乱する。絶句したまま凍り付いた零覇に暖稀は穏やかに微笑みかけた。


 「やぁ、レイ。久しぶりだね。元気だった、って聞くまでも無さそうだね」

 「…、ああ。最近はとにかく頭痛と胃痛が激しくて医者にかかる以外は何とか元気といえるかもな」


 いまだ混乱の極みにいながらもサラリと毒を吐く零覇に、暖稀の顔が器用にも引きつりながらも、何処か安堵したようなという表情を浮かべる。


 「え、まぁ、その、そのようだね…?」

 「ちょっと、大丈夫な訳?医者にかかるとかまずいんじゃなくて?」

 「うん、グレーテル。まずは君の普段の言動を見直せば僕も師匠もだいぶ医者にかかることは無くなると思うな」

 「はあ?」


 心外だと言わんばかりの表情を浮かべる妹ににっこりと笑みを浮かべる。僕はこの程度ではめげないぞ、とブツブツ呟くと、長年の夢と化したグレーテル更生計画を始動する。懇々と諭すヘンゼルと疑問符を浮かべるグレーテルの会話を聞き流し、漸く再起動を果たした零覇が頭をかき回す。


 「つまり、俺はこいつらにおびき出されたって事か」


 「まあ、そういうことになるかな。とりあえず、座りなよ。因みに、その二人はいいのかい?ほっといて」


 チラチラとしきりに双子の様子を窺う暖稀に零覇はあっさりと頷いてみせる。


 「ああ、いつもの事だ。聞き流せ。その内ヘンゼルがグレーテルに完全に叩きつぶされて終わるから、ほっとけ」

 「あ、ああ、そう。」


 もう既にその鱗片が見え始めている二人に乾いた笑いを浮かべる暖稀。どうにか話題を変えようと、先程から気になっていることを口に出す。


 「そういえば、二人ってヘンゼルとグレーテルって言うんだね。何て言うか、パティシエにピッタリ?」


 少しずれたことを言う暖稀に呆れ顔を見せる


 「どうせニックネームか、偽名だろ。どう見ても純製日本人だし」

 「失礼ね!二人とも本名よ!」

 「グレーテル!まだ話は終わってない!」


 いきなり割り込んできたグレーテルに暖稀が目を丸くする。更に声を上げたヘンゼルは既に涙目でどうにか食い下がろうとする。乱入してきた二人に驚いた様子もなく、いつの間にか注文したコーヒーを口に含む零覇は肩を竦める。


 「まぁ、愉快すぎるこいつらの性格のおかげでそんな事どうでもいいって感じになってるけどな」

 「そ、そうなんだ」


 この短時間でなんとなく察した暖稀がいたわりの目を向ける。だが、零覇はというとスッと目を細め、冷ややかに見やる。


 「そんな話はどうでもいい。で?俺を呼び出した本当の理由は?」

 「顔を見たかったから、じゃ、だめかい?」


 何処か寂しそうな笑顔を浮かべる彼にじとっとした目を向る。


 「昔、さんざっぱら追いかけられたこと、忘れてないけど?」

 「戻ってくる気は無いのかなって、思ってるさ」


 あっさり白旗を上げた暖稀が苦笑する。微かに顔を強張らせた零覇を真剣な表情で見つめる。


 「お前の才能をこんなところで埋もれさせておくのはもったいなさすぎる」

 「残念だが、俺はパティシエに戻る気は」

 「ちょっと!私たちとの賭けはどうするつもりよ!」


 再びグレーテルが乱入してくる。そちらに目を向けると、虚ろな目をしたヘンゼルをスルーしてグレーテルが気色ばんでいた。


 「どうせなら、ここで賭けを終了して、こいつの元に行くって手も」

 「ある訳ないでしょ!ふざけてんの?!まだまだこっからじゃない!私たちは勝てない戦いはしない主義よ。そうでしょヘンゼル!」

 「…うん、そうだねぇ…」


 あはははは、と乾いた笑い声を上げるヘンゼルに暖稀がぎょっとした顔をし、零覇は額を押さえて天を仰ぐ。無理やり視線を動かすと、暖稀が引きつった笑みで零覇に問う。


 「か、賭けって?」

 「私たちが勝ったら正式に弟子にする。零覇が勝ったら私たちが出てくって言う賭け。さっき弟子って名乗ったけど、性格には、現時点では弟子かっこ仮って感じなの」

 「へぇ」


 興味深そうな様子の暖稀に居心地悪そうに零覇が身じろぎする。


 「とにかく!俺はパティシエの仕事をもうするつもりはない。だから、もう会いにくんな。そっちだって忙しいんだろ」

 「ちょっと、だから私たちとの賭け」

 「分ったから、とっととその抜け殻もって外行け」


 面倒くさそうに零覇が手を振ると、グレーテルは不満げにしながらも遂に魂を飛ばしたヘンゼルを引きずっていく。こめかみを揉んで立ち上がった零覇に穏やかな声が届く。


 「分った。もう会いにはいかないよ」


 急に物わかりの良くなった暖気に言葉を失う。すぐに警戒した面持ちをする彼に苦笑する。


 「なんか、俺がそれをする必要がなくなったっぽいし。彼らには君じゃなきゃダメな理由があるみたいだからね」


 何か聞いたのか、と目を眇める零覇。微笑して首を振った暖気は、なんとなくね、と呟き穏やかな眼差しを向ける。それに、続けた暖稀はそのまま外に目線を走らせる。そこでは抜け殻状態のヘンゼルと彼を全力で揺り動かすグレーテルの姿があった。



「あの子たちはきっと、お前とちゃんと向き合ってくれる気がする。お前の過去ともね」



 そう言って彼は零覇に一枚の紙を手渡した。暖稀の言葉に一瞬硬直した零覇の横をすり抜けると、暖気は外に出ていった。そして、双子に一言声を掛けると、そのまま去っていった。

ツキナギ発狂日誌

法政大学多摩キャンパスに通う凸凹だけど中身はよく似たツキとナギが綴る日々の(発狂)日誌。

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