ヘングレと魔法使い(パティシエ)



≪家出5≫


 大分高く上り切った朝日がカーテンの隙間から差し込んでくる。眩しい、と零覇はぼんやりと思い寝返りを打って二度寝を決め込んだその時だった。


 「起きろ朝だ朝になった朝なんだぞ朝は眠りから醒めるときだというかもう既に昼に近いのに何時まで寝てるんだこの寝坊助分かったらととっと起きろー!!!」

 「うわぁ!?」

 「グレーテル―!!!」


 ドアを勢いよく開けてフライパンをお玉でガンガン鳴らしてグレーテルが乱入してくる。慌てて追いかけてきたヘンゼルが半泣きで止めようと奮闘する。呆然とその様子を見ていたが、頭痛がしてきて頭を抱える。


 「零覇さん、頭痛薬ありますよ…」

 「くれ…」


 同情と申し訳なさと羞恥を混ぜ合わせた瞳をしたヘンゼルがそっと差し出してきた薬をありがたく貰うことにする。何錠かを一気に口に放り込んだ零覇はこの惨状の元凶に半眼を向ける。一つや二つどころではない文句を今日こそ言ってやろうと口を開いた瞬間、何処からか取り出したトーストを突っ込まれる。


 「起きたわね。上々。とっとと着替えなさい。ちょっと外出るわよ」


 有無を言わせない彼女の様子にここ最近全力で味合わされている苦虫を更にじっくりと味わうことになる。ここで引くのは癪に障るが、はねつけたら更に面倒なことになる。仕方なく立ち上がって着替えを始めた。



 「お前、よくあんなのと一緒にいられるな」

 「…妹、ですからね」

 「…お前、よくあんなのと兄妹やってられんな」

 「僕も時々そう思います」




  渋々と言って体の零覇を引きずって来たのは、彼の部屋からほど近い公園だった。そわそわと落ち着かない安慈少年だったが、ある一点を見た少年が固まった。その視線を追った零覇の目は一つの少年グループをとらえた。何故か緊張にがちがちになっている安慈少年の背中をグレーテルが張り飛ばす。


 「しっかりしなさいよね!何の為にここまで頑張って来たと思ってんのよ」


 それでもなお、強張った顔をする安慈少年。更に悪いことに、その眼の端には既に涙が滲んでいる。


 「で、でも、もしダメだったら」


 そう言って、視線をさまよわせる少年の背に、ヘンゼルがそっと手を当てる。縋るように見つめてきた少年を少し厳しい目で見据える。


 「努力は必ず報われる。僕はそう言いきれないし、言うつもりはない。だって、僕はそうは思えないから」


 ヘンゼルからの厳しい言葉に少年が硬直する。だが、ヘンゼルは勢いよく血の気の引いていくその顔に微笑みかける。



 「でもね?結果として報われたかどうかはやってみないと分からない。だから、やらなくちゃいけないんだ。どんなに怖かったとしても。そうじゃないと、前に進むことなんて、決して出来ないし、何より、君の努力、そして、君自身に対して失礼だ」



 そっと紡がれる言葉に勇気づけられて、その瞳に徐々に覚悟の光が灯り始める。その光に力強く頷きかける。


 「努力したっていう事実は変わらないわ。だったら、悩むことはもう無いじゃない!当たって砕けてきなさい!」

「うーん。間違ってはないけど、砕けちゃったら困るかな、グレーテル?」


 勢いよく拳を天に突き上げるグレーテルを引きつった笑みを浮かべながら、窘める。いまいち意味の分かっていない顔をする彼女に魂を飛ばすヘンゼル。そのいつもと変わらない様子に思わず笑みがこぼれる。


 「…、そうだよね。ここまで頑張ってこれたんだもん。もうちょっと頑張ってみる!」


 そう言って少年は駆け出して行った。


 そして、一つと複数だった影は、一つに纏まった。



 「ううーん。いい仕事したわぁ」

 「それに関しては同意するけど、もうこれ以上のトラブルは拾ってこないでくれよ、グレーテル?」


 満足げに声を上げた妹に、疲れた顔を隠さないヘンゼルが釘をさす。だが、振り返った彼女はむっとした表情を浮かべていた。


 「何よぉ。人をトラブルメーカーみたいに」

 「まさか、自覚なかった?!」

 「なんのことよ」


 心底不思議そうな顔をするグレーテル。その表情に、まさかの自覚なかったということに気付き絶望した表情を浮かべるヘンゼル。のろのろと胃薬と頭痛薬を取り出そうとする。その悲壮感漂う背中を一瞥して、零覇が呆れ声を上げる。


 「つーか、俺はいる意味あったのかよ」

 「当たり前でしょ。あれ、見てみなさいよ」


 その言葉につられて指さす方向に目を向ける。何も考えていない無意識の行動だった。そして、目に飛び込んできた光景に息が詰まる。言葉も無く魅入る零覇に双子がこっそりと視線を交わす。


 その視線の先には輝かんばかりの笑顔がいくつもあった。甘いお菓子を頬張って嬉しそうな笑顔を浮かべるその顔から無理やり視線を引きはがす。


 「私たちの作ったお菓子で出来る笑顔が見てみたい」


 その言葉は。


 零覇が目を見開く。そんな彼にしてやったりと言わんばかりの笑みを向ける。


 「今回は私たちのパティシエとしての第一歩よ。記念すべきその時に招待してあげたんだから、感謝しなさい!」

 「…だったらなんだ。別に俺を呼ぶ必要なんてなかっただろ」

 「いいじゃない。いいもの見れたんだから」


 ふふん、と胸を張るグレーテルを苦々しく睨む。その時、カシャという音が隣から聞こえてきた。つい、そっちに目を向けると、そこではどこからか取り出したカメラで少年たちの笑顔を撮っているヘンゼルの姿があった。目が合うと、彼はにっこりと笑みを浮かべた。


 「見てください!綺麗に撮れました!」


 嬉しそうに画面を見せてくる彼からも視線を逸らす。


 「だから、そんな事どうでもいいって」

 「あら、それはどういう意味?」


 ずいっと顔を近づけてきたグレーテルを幾分青ざめた顔で気だるげに見返す。


 「お前たちがパティシエとして何を作って、誰にあげて、そして誰が笑顔になろうがどうなろうが俺にとってはどうでもいいことだ」


 どうでも良さそうな口ぶりでぶっきら棒に返す零覇。しかし、その口調は何処か気分を害していることを示しているようだ。ふーんと言って首を傾げたグレーテルがさらりと問う。


 「お菓子で出来る笑顔にはもう興味ないって?」


 一瞬言葉に詰まった零覇は、それでも頑ななに言う。


 「ああ、そう言って」



 「嘘ね」



 言葉を遮ってさらりと告げるグレーテルを睨む。


 「どういう意味だ」

 「本当にどうでもよければ、最初から目を逸らしていないはずですよ?グレーテルに促された時も動揺してたし。どうでもいいと思ってる人は、あれを無感動にぼーっと眺めてると思いますけどね」


 「っ!」



 否定したいのに、喉が張り付いて声が出ない。聞きたくないのに耳を塞げない。



 「今の笑顔を見て動揺した。部屋にはお菓子作りのための器具がぜぇんぶ揃ってた。それってさ、パティシエって仕事を辞めても、お菓子作りを辞めなかった、ううん、辞められなかったって事じゃないの?」

 「止めろ」

 「アンタがどうしてそうなったかは聞かない。そりゃあ聞きたいけど、ヘンゼルがダメって言うし」

 「だったらっ!もう止めろ!何も知らないで、知ったような口を開くな!俺の事を何も知らないくせにっ!」



 頭をかき回しながら、、グレーテルの声を遮って叫ぶ。そうでもしなければ、何かが溢れ出て、自分が自分でなくなってしまう様な、そんな恐怖が襲う。恐慌状態の彼に、冷ややかな声が突き刺さる。


 「当然でしょ。僕たちと貴方は他人。ずっと一緒にいたわけでもない。貴方の全てを分かる訳が無い。でも、貴方がもう一度お菓子を作って、笑顔を見てみたいって思ってるくらいの事は分かります」


 ぐっと、唇を噛みしめる零覇に挑む。


 「ホントはね、これでアンタが何も感じてないようだったら、諦めるつもりだったのよ。でも、アンタはちゃんと何かを感じてた」


 その言葉に、零覇が微かに冷笑を浮かべる。


 「俺を、試したとでも?」

 「そう言ってんじゃない」

 悪びれることなくあっさりとしたグレーテルに、冷たい笑みのままスッと目を細める零覇。その顔にグレーテルは恐れる所か凄絶に笑い返す。


「第一関門突破。だから、今度はこう言ってやる」


 何をと、二人を見据えると二人は満面の笑みを浮かべる。ヘンゼルは穏やかで優しくも、力強い笑顔。そして、グレーテルは悪戯っぽい、至極嬉しそうな顔で。



 「私たちと賭けをしなさい!暫く私たちを弟子にして、私たちがどこまでやれるか見るの。そして、その期間中にアンタにお菓子を作りたいって思わせたら私たちの勝ちって事で正式に弟子にしなさい!ダメだったら、負けを認めて出て行ってやる。その代わり、指をくわえて私たちの活躍を見ているといいわ!」



 そして。一晩開けた後、彼らの賭けは成立した。

ツキナギ発狂日誌

法政大学多摩キャンパスに通う凸凹だけど中身はよく似たツキとナギが綴る日々の(発狂)日誌。

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