ヘングレと魔法使い(パティシエ)
≪弟子入り3≫
少年は、無徒安慈(むとあんじ)と名乗った。その日は一旦お開きとする事にして、後日三人は集まった。お菓子作り何て、と渋る彼を無理やりに引きずってグレーテルは意気揚々と零覇の部屋の前に立った。
因みに、ヘンゼルもお菓子作り自体には文句はなかったものの、零覇の部屋でやると言う意見には猛反対したのだ。しかし結果はこの通り。結局、妹の方が強かったのだ。そんな訳で、現在の彼の一番の友人は胃薬と頭痛薬である。
意気揚々とドアベルを鳴らす、かと思われたグレーテルだったが。その手はインターホンに伸びることはなく。
「あーけーろーぉ!!!」
いきなりガンガンとドアを猛然と叩き始める。妹の奇行には慣れているはずのヘンゼルですら咄嗟に反応できず、呆然と眺める中、彼女は元気よくドアを叩きまくる。
「ちょ、ちょっと、グレーテル!!流石にマズいって!門前払い以前に、近所迷惑!びっくりしてご近所さんとか様子見に来てるよ!?」
「いーの、いーの。ヘーキヘーキ」
「どこが!?」
くらりと眩暈を覚えたヘンゼルを、硬直していた安慈がはっと我に返り気づかわし気に支える。二人の間には確かな絆が出来た気がした瞬間だった。
「うるせぇな、いい加減にしろガキども!もう来んなって」
「ああ、やっと開いたわね」
ついに零覇の部屋のドアが勢いよく開かれた。不機嫌さからくる勢いに任せた零覇の言葉を途中でぶった切ったグレーテルが平然と彼に要求する。
「ちょっと、アンタの部屋のキッチン、貸しなさい」
「帰れ」
冷ややかに告げて零覇がドアを閉めようとした時、突然、グレーテルが泣き崩れた。ぎょっとする男三人の前でえぐえぐと泣きながらグレーテルがよく通る声で言い募る。
「ひ、酷いよ!ここ、ここしか、ひっく、お菓子作れる場所、ヒック、なくて、それで、ひっく、遠かったけど、頑張って、ひっく、頑張って、来たのに、お兄ちゃんの、ヒック、お兄ちゃんの、ばかぁ!」
うわーんと泣き始めた少女。展開についていけず硬直する零覇にご近所のおばさん方の視線が突き刺さる。わざとらしく響く声と現状にその背に冷や汗が流れる。
「大丈夫?お嬢ちゃん。もしよかったら、おばちゃんの家、貸してあげようか?」
「で、でも、お兄ちゃんのところ、だから、パパとママが、許してくれたの。知らない人に、ヒック、ついていっちゃ、いけないって、言われてるし…、グスッ」
「零覇さんとおっしゃったかしら?可愛い妹さんが泣いてるのに酷いわねぇ」
「い、いや、ソイツは俺の妹では」
慰めるおばちゃんに、非難の眼差しを向けるおばちゃん。ご近所のおばさん達の圧力に零覇がついに屈した。
「ああもう!勝手にしろ!」
乱暴にドアを開け、やけになって叫ぶ。頭を勢いよくかき回して呻く彼の横を小さくなりながらグレーテルを抱えて通るヘンゼルと安慈。ドアが閉まった瞬間、グレーテルが勢いよく立ち上がる。
「さぁて、場所も確保できたし、始めるか!」
やっぱり。元気を取り戻してケロッとしている妹と入れ替わるようにしてヘンゼルが床に沈み込む。後からふらふらとついてきた零覇が苦虫を味わいながら呻く。
「このやろう……」
「涙は女の武器よ。覚えておきなさい。と言うかあんな古典的な手に引っかかるのんてあなた大丈夫?いつか悪い女に引っかかるわよ?」
「余計なお世話だ帰れ!」
喚く零覇だが、グレーテルはけろりとしたものだ。ぐるりと室内を見渡す。
「嫌よ。キッチンはここね?材料は買ってきたからっと」
「俺は弟子を取る気は全くない。とっとと出てけ」
「だから嫌って言ってるでしょ。というか、今回は弟子入りに来たんじゃないっての。キッチン貸せって言ったでしょ?」
はぁ?と間抜けな声を出す零覇をスルーすると、グレーテルは鼻息交じりに準備を始めた。彼女に怒鳴られた安慈も慌てて手伝う。完全に動きの止まった零覇にヘンゼルが事情を話す。その事情を、途中から無表情になったものの、最後まで聞いてくれた。
「…、どうしても場所が無いってんなら、仕方ないから貸してやる。だが、俺は何もしない。やるなら勝手にやれ。いいな」
そう言って自室に引っ込んでいく。その背に舌を出したグレーテルが勢いよく言い放つ。
「待ってなさいよ!絶対あっと言わせて、アタシたちの事、認めさせてやんだから!」
そして、数日間の奮闘が始まった。
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