ヘングレと魔法使い(パティシエ)
≪弟子入り1≫
彼が住んでいるのは、都心から少し離れた安アパートだった。考えさせてくれ、と言って何日か悩んだ素振りを見せた奉だったが、結局、その居場所を教えてくれた。
「…ってか、ヘンゼルとグレーテルの訪ねる魔法使いの家って森の中にあるんじゃないの⁈」
「突っ込みがちょっとズレてる気がするな?僕たちが勝手に名乗ってるだけだし、この現代日本で森に住んでいるとか、どんな人なんだよ。それに、ヘンゼルとグレーテルの訪ねた家は魔女の家だから」
よく分からない文句を言い出した妹に思わず突っ込む。爺の家を出る際にこっそり胃薬と頭痛薬を渡されたのだが、早速出番がありそうだ。流石によく分かっている爺である。因みに、彼のツッコミもまた若干ズレていることに二人揃って気付いていない。
そんなことを考えていると、なんの躊躇いもなく、いきなりグレーテルがドアベルを鳴らした。ドアベルがドア越しに聞こえて、硬直する。
「ちょ、ちょっとグレーテル!僕まだ心の準備が…」
「大丈夫よ。思い立ったが吉日、善は急げ、タイム・イズ・マネー!!物怖じしてる暇なんてないわよ!」
「そ、それに、爺が変なこと言ってたでしょ?零覇を見捨てないでやってくださいって。どういう意味だか考えないと」
そうしているうちに、ガチャリと音を立ててドアが開かれた。その隙間から覗くのは、かつて会った魔法使い(パティシエ)のやつれた姿だった。
「なんの用だ。つぅか、誰だお前ら」
気だるげに問う男の姿に絶句する。記憶の中の彼はとても眩しかったから、そのギャップに言葉を失う。先に我に返ったのはヘンゼルだった。
「あ、あの!再起零覇さんですか?」
「…そうだけど、だから、誰だっての」
「僕たちは、その、えっと」
どう説明したものかとしどろもどろになるヘンゼルの横で、ようやく再起動したグレーテルが胸を張る。
「私はグレーテル!こっちはヘンゼルで、私たちは双子なの。それでここに来た理由は貴方に弟子入りをしに来たってこと」
「ふざけてんのか。他を当たれ」
冷ややかな声で吐き捨てると、勢いよくドアが閉まる。
「ちょっと!何なのよ、いきなりドアを閉めるなんて!」
「いや、仕方ないと思うよ?いきなりそんなこと言うなんて、誰が見ても不審者」
「誰か、って聞かれたから自己紹介したじゃない!」
「うーん、自己紹介が、自己紹介になってないかな?」
やはりどこかズレている妹に頭痛がしてくる。
「どうしてヘンゼルとグレーテルって名乗ったのさ」
「だって、そう呼んで欲しいし、身元バレたらまずくない?」
そう言われて、押し黙る。彼に身元がばれるのは、正直、問題ないだろう。問題は身元を知ったうえでかくまったと思われることだ。そう考えると、グレーテルの判断はある意味正しかったのだろう。
「いーれーろーぉ!!」
がんがんがんがん。力任せにドアを叩く。
「ちょっとグレーテル!流石にまずいって」
「いい加減にしろ!」
騒々しさに再び零覇が顔を出す。冷ややかに睨みつけられ、震え上がるヘンゼルをよそに、グレーテルはけろりとしたものだ。弟子にしろ!と真正面から要求する。
「他に当たれって言ったろうが」
「私たちは貴方に弟子入りしに来たのよ。この私たちが弟子になってあげるんだから、逆に感謝して欲しい位よ」
「グレーテルゥ」
半泣きのヘンゼルが袖を引いてくるのに気付かないフリをして、真正面から睨み据える。
「随分尊大な態度の弟子入りもあったもんだ。つうか、俺に弟子入りって何する気だよ」
ガシガシと頭をかき回す。それに対し、グレーテルはきょとんと首を傾げた。
「何する気って、そりゃあ、パティシエ弟子に決まってんでしょ」
それを聞いた瞬間、零覇の瞳がひび割れる。それに気づかないグレーテルが、熱心に訴えかける。
「私たち、ずっとパティシエになりたかったの!でも、今までそれが出来る環境じゃなくて。だったらいっそ、奮起しちゃおう!て話になったの。それで」
「…グレーテル、出直そう」
夢見顔な妹の言葉を静かにヘンゼルは止めた。むっとした顔で振り返った彼女を静かに見返す。それだけで、グレーテルは押し黙った。この顔の時の兄には逆らってはいけない。それでも未練がましく動こうとしない妹を促そうと口を開いたその時。静かで、ゆっくりとした声が響く。
「パティシエになりてぇなら、別に俺でなくてもいいはずだ。都心に行けば、いくらでも店はある。そこに行くんだな」
渋々、立ち去ろうとしたグレーテルが、むっとしたように振り返って、勢いのまま噛みつく。
「ま、待ちなさいよ!私たちは」
「二度と、ここに来るな。俺の前で、パティシエの話は、するな」
低く、暗い声。振り返ってみたその瞳は昏く澱んでいた。その眼に呑まれて立ち竦む妹の前に体を滑り込ませたヘンゼルが、頭を下げる。
「…、すみません。出直すことにします」
そっと妹の手を取った彼は、踵を返す。立ち去る直前、顔だけ振り向かせたヘンゼルは静かに、そして、挑むような目で零覇を射抜く。
「でも、俺たちは諦めません。貴方じゃなきゃならない理由なら、ある」
目を見開いて、瞠目する零覇に今度こそ背を向けた二人は去っていった。
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