ヘングレと魔法使い(パティシエ)
≪epilogue≫
それは、ある日の事だった。その日もまた、びっくりするくらいに綺麗な青空が広がっていた。
いつもの様に看板を店の前に出し、いつもと変わらぬ景色を何となしに見つめた。幼いころに新鮮に感じた街並みは、今ではもう、見慣れた景色であり、どことなくほっとする感じがした。
そろそろ開店の時間よ。
ひょっこりと顔を出した片割れが催促してくる。そのドアの隙間から、とてもいい匂いが漂ってくる。僕はそれに苦笑で答えると、彼女に続いて店に入ろうとし、ふと店を見上げた。それは小さいお店であったが、僕たちにとってはどうしてか、大きく見えた。そんな事をつらつらと考えていたことに、更に苦笑を深めた。
カラン。
ドアを開けると、ドアについている小さな鈴が可愛らしい音を立ててドアが開いたことを知らせる。その音にお菓子がたくさん並んだケースの奥に立っていた片割れが振り返って、早く早く、とせかしてくる。それに頷きかけてその隣に立った時。
カラン。
再び可愛らしい鈴の音が来訪者を告げる。振り返ると、両親に連れられて、幼い少年と少女が立っていた。いらっしゃいませ、と声をそろえて、その家族に告げる。
さあ、どれでも好きなものを選びなさい。
母親に告げられて、少女が歓声を上げて、ショーケースに駆け寄る。目を輝かせて覗き込む少女に、片割れが楽しそうに菓子の説明をしている。対称的におずおずと進み出た少年はちらりと両親を見上げ、そろりと尋ねる。
ほんと…?
その姿に、僕は微苦笑を浮かべて、声を掛ける。
君は、甘いお菓子、嫌い?
ううん。好き、だけど…。
じゃあ、食べて行きなよ。ママもいいって言ってるしさ。食べたいから、食べる。好きだから、食べる。それでいいんじゃないかな?
そういって、今日一番の出来を自負するケーキを少年に差し出した。そのケーキを一目見て、目を丸くした少年は思わず、といった体でケーキを受け取った。次の瞬間、我に返って狼狽えた様子を見せた彼は、恐る恐る僕の顔を窺ってきたから、笑顔で頷きかけた。じっと見つめてから、躊躇いがちに一口食べた少年は、一瞬びっくりした顔をしたが、すぐにこちらまで嬉しくなるような笑顔を浮かべてくれた。その背後から、少女がやって来た。その手には僕の片割れに貰ったのであろうケーキがあり、彼女もまたニコニコと笑顔を浮かべていた。
美味しいね、お兄ちゃん。
そう言って何処か楽しそうに笑いあう兄妹に向けて、常備しているカメラを向けた。
カシャ。
突然のシャッター音に、きょとんとした表情を浮かべる兄妹。僕は微笑むと、撮った写真を彼らに向けた。
ほら、良い顔でしょ?
そう言うと、今度は、僕の片割れがクスクス笑いながら嬉しそうに口を出す。
私たちはね、この顔が見たくてパティシエになったのよ。私たちのケーキで喜んでくれてありがとう。
その言葉と写真に、くすぐったそうな笑顔を浮かべる兄妹。
ケーキを食べ終わり、ばいばい、と笑顔で手を振ってくる兄妹に手を振り返す。親子は楽しそうにしゃべりながら、帰っていった。
さて、仕込みでもしますかね。
そう言って伸びをした片割れに、そうだね、と同意すると、厨房へと踵を返したその時。
カラン。
三度可愛らしい鈴の音が響き、新しい来訪者を告げた。
いらっしゃいませ。
そう言って振り向いた僕は、あまりの衝撃に声を失った。一点を見据えたまま、動かなくなった僕をみて訝し気な顔をした片割れが僕の目線を追い、硬直した。
久しぶりだな。
そういって悪戯っぽく笑った顔は、僕たちが何よりも好きな顔だった。全く変わらないその様子に、自然と笑みが浮かぶ。口を開いたが、それより先に片割れが声を上げた。
いつ帰って来たのよ!ってか、事前に連絡くらいしなさいよ!
その言葉に首を竦めた魔法使いは、ニヤリと笑う。
だって、そっちの方が楽しそうだろ?つーか、いつの間にか店は開いてるし、さっきの見てたけど、俺、必要なくね?
飄々と告げる魔法使いに、片割れが食って掛かる。
そんな訳無いじゃない!約束、果たしなさいよ!どれだけ待ったと思ってんの⁈
その甲高い声に、変わらないな、とばかりに苦笑した魔法使いは穏やかな目をしてゆっくりと店に入ってくる。そんな魔法使いに僕は笑顔で言った。
お帰りなさい、師匠。
カラン、と音を立ててドアが閉まる。その店の看板には、こう書いてあった。
Haus des Kuchens
FIN
これにて完結です。
お付き合いいただいたお優しい方々に感謝します。
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