せやかて〇藤!
はいはいどーも、さっきまでバイト戦士()してたツキさんでーすw
最近あったことといえば、シュ〇インズ・ゲートの某マッドサイエンティスト氏の高笑い(逆再生)を聞いて腹筋が筋肉痛起こしたとか、名探偵〇ナンの某西の高校生探偵の「工藤!」を集めてみた動画を見て(まさかの前編後編)腹筋が筋肉痛起こしたとか、そんな感じだなww
なかなか酷いだろwwwwww 自分で振り返っても酷ぇと思ったわwww
さて。最近スランプ気味なのか、ネタが全く降ってこなくて困ってるわけなんだが。ネタ集めも兼ねて、ちょっとニュースとか見てたんだが、気になったワードがあってな。
『正義』ってなんやろね、っていう。
俺は全然、全く偉い人間じゃないから、こういうのを偉そうに語る資格とか何も持っとらんけどなw
辞書とか引くと、『 人の道にかなっていて正しいこと。人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範』なんて出てくる訳だが、さて、この中に出てくる『人の道』、かの有名な新選組局長、近藤勇はこう説いたとか。
『忘れてはならぬものは 恩義
捨ててならぬものは 義理
人にあたえるものは 人情
繰返してならぬものは 過失
通してならぬものは 我意
笑ってならぬものは 人の失敗
聞いてならぬものは 人の秘密
お金で買えぬものは 信用』
確かにそうだなぁ、って思ったな。当たり前っちゃ当たり前だろ、よく見なくても。これが『人の道』だとして、こいつにかなって正しいことが『正義』なら、どれだけの人間がこの『正義』を実践できているんだろうな?……俺は少なくとも無理だわ。実践したいとは思うけどな。人嫌いに求めちゃいかんわw
でも、今の世界じゃ、『正義』っつーのは結局、その人が何を正しいとするか、何を信じるかによって、如何様にも変化していくものなんだろうよ。思想に制限はなく、誰が何を感じ、何を思い、何を考えるのかは自由だ。その中で自分の『正義』を形成していくべきなんだろう。その形成の過程を、それこそ『正しく』導くのが『教育』の役目なんだと思う。
『教育』と『刷り込み』は違う。
……政治的な話?教育的な話?に首突っ込むのは嫌いだし、そもそも専門外なんだが、某幼稚園の運動会の宣誓なんかは完全に『刷り込み』だと思ったね。あれはあかんわ。幼稚園や学校は政治的な問題に首突っ込んじゃいけないし、そもそも政治的に中立的な立場を取らなければならないことになってるしな。
幼子は、純粋で無垢だ。大人は『正しい』と信じて止まない。身近な大人の行動を無邪気に真似る。真似て、己にとって最も『正しい』人間である親が不快を示さなければ、それはその幼子にとって『正しい』行動になる。己にとって『正しい』大人の言うことは全て『正しい』。『正しい』大人が用いる言葉は『正し』く、それを用いる己もまた『正しい』。これが所謂『刷り込み』で、この『正しい』の集合が『正義』になる。
さて、この幼子らにとって、学校で『教育』を行う教師は『正しい』大人であるはずだ。幼子らの、この『刷り込み』によって形成された『正義』は、『正しい』大人たる教師らの『教育』によって、変形し、或いは歪み、或いは壊されて再形成される。また、異なる『正義』を持った学友たちと反発し合ったり、或いは衝突し合ったり、或いは迎合したりしてもまた、『正義』は変化していく。
元々、学校へ通う頃合いの幼子は、ある程度の分別は弁えている。しかしながら、この分別というのは、『刷り込み』によって得た『正義』が判断基準にある。それがある程度『正し』ければ、それは良い。『教育』によって、知識を得て、人間を知って、『正義』は洗練されていく。問題は『刷り込み』によって得た『正義』が『正し』くない時か、と問われれば、それもまた違う。『教育』によって変化させればいいだけの話だからな。
じゃあ、何が一番よろしくないのかと言えば、それは『正し』くない『正義』を変化させられない『教育』だ。こんな言い方するのも変だが、最近は子供を厳しく叱る教師が減ったというか、子供を尊重しすぎる教師が増えた気がするな。おかしいことを「おかしい」って言ってやれない教師なんて何の意味もないと思うわ。
一つ、知人のお子さんの例を挙げようか。
知人のお子さんをAさんとしよう。Aさんはイベントでピアノ伴奏を担当することになっていたらしいんだが、元々はエレクトーンの奏者でピアノは専門外。エレクトーンとピアノじゃ全くと言っていいほど勝手が違う。それでも教師に「Aさんにお願いしたいんだ」と“お願い”されて、必死に練習して、一通り弾けるようになった。だが、イベント三日前になって、Aさんのクラスメイトでピアノの上手いBさんが「私の方が上手く弾ける」と言って、教師にピアノ伴奏を自分にするように強請った。Bさんの親からもBさんを伴奏にするように圧力が来た。でも、Aさんも「ここまで来たら、私が弾きたい」と言っている。
さて、お前らが教師ならどうする?
俺なら、どれだけ圧力が来ようともAさんを伴奏から外さない。自分から“お願い”したのに、しかもAさんは必死に練習して、一通り弾けるようになっているのに、それを蹴ってBの我儘を通すのはおかしな話だろう。そもそも、伴奏者を決める段階でBが異議を唱えたなら話は別だが、決まった後、しかもAさんが練習を始めた後に異議を唱える時点でよろしくない。
この教師がどう対応したかは、正直腹立つから書かないでおくが、まぁ察してくれ。と言っても、この知人が「モンペって言われても構わないわ」とか言って、この教師に電話かけて正論叩きつけまくって、無事にAさんは伴奏やったらしいんだが。
体罰はよろしくない。だが、叱ることは必要だと思う。そこに歪んだ『正義』が存在するなら、尚更。理不尽に怒鳴り散らして己の『正義』を押し付けるのは『刷り込み』だ。尊重することも重要だが、それ即ち『正義』というのは違うはずだ。時に厳しく叱り、時に優しく教え諭し、言葉を以って『正し』さを説き、『正しい』方向に『正義』を変形させる。それが『教育』ではなかろうか。尊重するなとは言わない。だが、その尊重の意義も考えるべきだろう。
……やっべ、日付変わってる(´・ω・`)
明日……今日は朝7時からバイトだから朝6時起きなんだよな……あかん、三時間ちょっとしか寝れないわ(´;ω;`)
と、いうわけで。今回のツキさんの発狂は閉幕!おやすみー(*´▽`*)
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