青鯖が空に浮かんだような顔しやがって。
青鯖が空に浮かんだような顔しやがって。
大体、お前の好きな花は何だ。
中原中也が太宰治を罵倒した時に用いた台詞。
酒の入った悪絡みにしてもアカンやろ、と俺は思ったんだが、まぁ何とも言い難く詩情的でレベルの高い罵倒の仕方をするものだ、とも同時に思ったのを記憶している。
因みに、太宰はこの中原の罵倒混じりの問いに「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えたところ、「ちっ、これだからお前は」と言ったそうな。
なお、中原は太宰に悪絡みし続けた結果、太宰の友人の壇一雄に背負い投げされたとか何とか。
さて、なんでこんな話持ってきたかっつーと、
前に日々発狂で話したニホソ人の延長で、
『罵倒のバリエーションが減っちまったよなぁ』
と、ふと思ったっていう、何とも言い難い変な理由があるわけだ。
正直、中原中也みたいな罵倒してくる奴がいたら、俺は怒るに怒れないっつーか、寧ろ賞賛するかなーってね。……断じてМ属性ではないが。んでもって、度が過ぎるようなら背負い投げする所存ではあるが。
語彙力とか表現力ってのは、意外と無くても生活できるもんだ。要は、最低限の意思疎通が出来りゃいいわけだからな。ボディランゲージでも単語でも、何だっていい。
だが、考えてもみろ。
最低限の意思疎通だけでいいなら、何故、和歌が生まれた?詩が生まれた?何故、日本人は言葉の中に雅を求めた?言葉を娯楽に用いた?
言語の消滅なんて話題がたまに論文とかにあるが、
正直、日本語はこの雅だの何だのがなかったら、
とうの昔に消滅してたかもしれねぇな、って俺は何とは無しに考えちまう。んなアホな事はねぇと思うけどな。ふとした瞬間に頭を過ぎるんだよな、この考え。とうの昔に英語にでも統一されてたかもしれねぇ、って。
折角ちゃんと日本人で日本語が扱えるんだったら、
マトモに勉強して、マトモに扱ってやりたいよな。
ちゃんと、キレイな日本語を使いたい。
それが、たとえ罵倒の為だったとしてもな。
馬鹿とか阿呆とか、簡単で簡潔な言葉で済ませてもいいが、中原中也のあの罵倒を見た後にこの簡潔な言葉の罵倒を見ると、どことなく物足りないって、そう俺は思っちまう。
凡庸でありふれた罵倒より、相手を見て、相手に合わせた罵倒をしてやった方が、なんとなくスッキリしそうじゃないか?
そんなことを思った今日この頃。
ツキさんの発狂これにて、いざ閉幕……!
↑ニホソ人の回な。
追記(2017.02.04)
特に打ち合わせも何もしてないのに、示し合わせたかのようにナギと内容が被っちまったというか、何というか。ナギの投稿見てから書けば良かったかなぁ、とちょっと後悔。
あちらさんがちょっと真面目回してるから、こっちは徹底的に巫山戯てやれば良かったな(しじみ)
因みに、太宰は詩人としての中原のことは尊敬していたらしいが、人間性的には大嫌いだったそうな。中原の死後、「やはり中原は天才だった」という趣旨の発言を太宰は友人に零していたらしい。
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